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円雷珠


1

空に光る、大きな星。
それは数年毎に、月のない夜に現れるらしい。深い山の中、誰も立ち入らない森の上でそれは突如として現れ、そして消えるのだ。
神が棲んでいる。近隣の里人はそう噂し、その山を神の山として敬い、奉ってきた。神の舞い降りるところ、神が戻るところは見てはならぬと言われてきた。見れば必ず、災いが起こると。



しかし事件は起きる。いつもならそろそろ大きな星が現れてもいい頃合なのに、それがないのだ。人々は神の怒りだの、災いが起こるだのと噂し、怯えて日々を暮らすようになった。そしてついにある日、ひとりの男が呼ばれる。不思議なこと説明のつかないことにかかわっている彼らを、蟲師と呼んだ。





「あそこに行ったらきっと何かわかる!」
綺麗に晴れた空を貫くように、怒鳴り声が響いていた。山の裾にある小さな里の、村長の家に男たちが数人集まり、輪を囲むように話をしている。村長は白髪の混じった髪をひとなでし、しかしと続けた。
「あそこに入って気がふれたもの、倒れたものもいる、何かあってからでは遅い」
「そんなこと言ったって、ただ待ってたらなんとかなるのか!? 現にうちの倅は山へ行くと行ったきり、帰ってこない! 隣のサエだってだ、あれが出なくなってから里の者はおかしくなってるんだ!」



「ごめんください」
その場に似つかわしくないのんきな声が響いた。その場にいた男たちは一斉に振り返り、戸口に立っている男を見た。
髪は白く、目は緑、身に着けている服も自分たちの着物とは違う白いシャツに深緑色のズボン。背に大きな木箱、片手に煙草を持っていた。
男たちが睨むので、白髪の男はこえーなと小さくつぶやいた。すぐに男たちの中のひとりが、声をかける。
「誰だ、あんた」
「蟲師のギンコという、村長に目通し願いたい」
「蟲師だあ?」
男はギンコに対して睨みを利かせて言うと、すぐに後ろに座る村長に首を回すと言った。
「こんな得体の知れない生業をしてる奴に、解決なんかできるか!」
「これ、せっかく来て頂いているのになんということを!」
それまで控えていた別の年配の男が男をたしなめる。ギンコはあー、と頭をかいた。

「得体が知れないから生業にしてるんだがね」

「なにぃ?」
男は大股でギンコに近づくと、シャツを片手でつかんだ。ギンコはそれを平然と見つめる。
「あんただって、ホントはわかってるんだろう? 何かがいる、ってことくらい」
「………くそ!」
「いい加減にしろ、加平!」
片手を振り上げる加平に村長が怒鳴り声を上げると、加平はつかんでいたギンコのシャツを放し、家から出て行った。ギンコはそれを見送り、はーやばかったーとつぶやいている。村の者がそれを呆れ顔で見つめた。
「申し訳ないことを……蟲師の、」
「ギンコです。大体のことは文に書かれていたのを読んでおります、もちろん、見当も」
荷を下ろしながら話すギンコの言葉に、その場にいた数人の男たち全員がざわめき立つ。それを見つめてギンコは煙草を銜えなおし、村長を見た。
「これは蟲の仕業です、それを今からご説明しましょう」



部屋の中で男たちはギンコを囲み、座って話を聞いた、それは不思議な……けれどどれもが納得せざるを得ない話だった。
「まず、夜空に輝く星という外見から、これは円雷珠という蟲だと言える」
「えんらい…?」
男の一人が聞き返すと、ギンコは指で宙に円を書いて説明した。
「まるい雷の珠と書きます、それは数年毎に新月のときだけ現れる蟲で大きさはおよそですが、距離にして一里から最大で十ほどにもなるそうです」
「でかいな……」
「それは先ほど言ったとおり新月のときに出て、そして明け方にはいなくなる性質を持っています」
そうだ、と誰かがつぶやいた。
「確かに朝になれば忽然と姿を消していた」
「どこへ行ったか、ですが」
そこでギンコはいったん区切る。男たちが見つめる中、ギンコは口を開いた。
「まだわかっていません」
「ええ!?」
驚きまたざわめく男たちの中、村長がちょっと待ってくださいと言った。
「それでは解決にならないのでは……」
姿を一向に現さない光。神ではなくただの蟲だと解ったが、逆にその蟲の行く末が気になった。それに、それから起こった悪いことの数々は、ただの偶然で片付けられないのだ。ギンコは小さくうなずいて、そして言った。
「俺はそれに何か別のものがかかわっていると思っています」
「え…?」
「それを見つけるために皆さんにも協力願いたい」
「ならば、すぐに供をして山へ……」
腰を上げようとする若い男に、いえとギンコはつぶやく。
「まず、山には俺が調べに行きますので誰も山には近づかないでいただきます」
「なぜ」
「それが何かを見極めるためです、大勢では動きにくい、それに、」
そこまでギンコが言ったとき、悲鳴が遠くから聞こえた。女の声だ。その後加平、と叫び声が届く。村長が立ち上がり、愕然として外を見つめる。
「加平、まさか、山へ」
それを聞いてギンコが家を飛び出す、男たちも後を追いかけた。山への入り口、獣道で加平が片足をおさえてうめいていた。
「急に、蔓みたいのが足に」
「足に?」
怪我を診たギンコが問い返すと、加平はうなずいた。獣道を入ってしばらくすると、細長いものが急に襲ってきたという。ギンコは周りに集まる人々を向くと、聞いた。
「医者は」
「それが、気味が悪いと言って……」
この里にいた医者は出て行ってしまったらしい。無理もない、今まで出ていたものが出ず、そして奇妙なことばかりが起きていたのだから。ギンコは少し考えると、口を開いた。
「ひとりだけ、蟲を恐れず理解のある医家を知っている、住まいはここから離れているが早馬もあればふつか三日で着くだろう。───────どうだ」
男たちは村長と目を合わせ、うなずいた。男がギンコに言う。
「馬ならある、ひとり男を向かわせよう」
「頼んだ」
ギンコは加平に向き直り、それまでは俺が、と言った。加平が冗談じゃないと暴れると、それを見てつぶやく。
「ここで死ぬか生き長らえるかどっちがいい」
あんたの好きにしてやるよと言う蟲師に、加平は呆然としそして仕方なくうなずいたのであった。




その風変わりな医家が着いたのは、それからわずか一日と半だった。
「ギンコ!!」
着いたとたん勢いよく抱きついて来ようとする男を片手で押さえ、とっとと患者を診ろと叱りつけてギンコは化野を向かわせる。馬とともに迎えに出向いた男は、夜通し走らされたと泣いていた。
「最初はついてくるのを渋っていたんだけど、言われたとおりあんたの名前を出したらふたつ返事だったよ」
むしろ急げと急かされたと男が話すのをギンコはため息とともに聞いて、そしてさかさかと加平の足を治療し始める医家を見る。行動が有り難いほど単純だ、───────呆れるほどに。
「あとは安静にしていればすぐに治るだろう」
加平はうなずいて足をさすった、きちんとした医者に診てもらって安心したからだ。化野はギンコを振り返る。
「行くんだろう?」
「ん、まぁな」
加平は先ほどから離れた場所で木箱の引出しを開け閉めしている蟲師を見た、どうやら荷の整理をしているらしい。目の前にいる医者は、それを不愉快とばかりに眉を寄せ、そしてまた言った。
「危険かも解らんのだろう、こんな傷を負わせる蟲がいるのに。それでも行くのか」
「いや、行かないと答えは出んだろう」
「場所は」
「聞いてどうすんだ、お前」
憤る医者と苦笑いする蟲師。そのふたりを見ていて加平はふたりは仲が悪いのだと思った、化野と名乗った医者は怒っているし、ギンコはそれをまるきり相手にしていないからだ。
「俺も行く」
「……あほか、危険だと今しがたお前が言ったばかりだろ」
「行くと言ったら絶対、行くぞ」
化野が強い声でそう言うと、それまで自分の手元しか見ていなかったギンコが、ちらりと化野を見る。そしてすぐ、視線を手元に戻してゆるやかに笑った。
「勝手にしろ」
それで加平は、仲が悪いわけではないと気付いた。満足そうによしとうなずいている化野は、とても嬉しそうだ。
「待ってくれ、」
加平の言葉にふたりは視線を向ける。加平は俺も、と小さくつぶやいて、そして大きな声で言った。
「俺も、連れて行ってくれ……息子が……隣のサエも、行方知らずなんだ」
その言葉にふたりは顔を見合わせ、ギンコが仕方なくうなずいた。



2

ジ、と火が燃える音がした。
すっかり日が落ちた村で、ギンコ、化野、加平の三人は山へと入る道の入り口に立っていた。ギンコが手に持った松明に火をつける。
「そんな火なんかで大丈夫か」
加平が聞くとギンコは小さく笑う。
「例外もあるが生き物は総じて火を怖がるモンだろ、それにこれはただの木じゃない」
燻すと蟲が嫌がる煙を出す、とギンコは言った。化野はそれを聞いて蟲避けだなと笑う。
「ひとり一本、持ってくれ。蟲が近づいてきたらかざせば、たいがいは逃げていく」
「たいがいじゃないものが来たらどうするんだ」
化野が松明を受け取り聞いてみるとギンコはしれっと告げた。
「逃げろ」
「………」
ふたりは黙り込み、それが嫌なら帰れと言われていや、と断りを入れた。連れて行けと言った手前、これ以上の文句は言えない。
「行くぞ」
三人は獣道に入る。入り口から少し歩いたところで、先日加平は襲われたのだ。先頭を歩くギンコが来るぞ、と後ろを歩くふたりに告げる。ザザ、と音がして細長いものが襲ってきた、すぐにギンコが松明をかざす。
ざ、と音を立ててそれは逃げていった、ちらりと見えた姿は、
「……蔓?」
暗闇でよく見えなかったが緑色の草に見えたのだ、ギンコは黙って考え込んでいる。
「なんで蔓が……どこかで草の化け物でも見ているのか」
加平が言うとギンコはああとうなずいた、化野と加平は驚いてギンコを見つめる。
「どうやらその通りだ、見てやがるんだ、俺たちを」
「じゃあ、今のやつが息子とサエを」
加平が小さくつぶやくと化野は加平を見つめ、ギンコは彼を見ないで言った。
「さぁな、それを知るためにも行くんだ」
「……」
「行こう」
三人はときどき襲ってくる蔓を松明で退け、山の頂上を目指した。やがて見えてきたものにギンコが顎で示し見ろと言った。



そこには、大きな緑色の球体があった。よく見るとそれは蔓が幾重にも重なり合って絡まりあって作られた円形のもので、隙間から淡く金色に輝く強い光が漏れていた。その球体は周りの木々に伸ばされた蔓で宙に浮いており、大きさはおよそ四メートルほどあった。
「なんだ、これ…」
つぶやく化野に加平がああとうめく。
「これは……まさか」
「そう、」
ギンコが続ける。
「あんたらが数年に一度見ていた、神さんってやつだ」
金色に放たれる光は、間違いなく加平がよく見ていたその「星」だった。神だとも噂したその光り、それが今目の前にあるのだ。
「この蟲は“円雷珠”という、光酒を食う蟲だ。数年に渡り少しずつ喰って大きくなる」
ギンコの説明に化野がちょっと待てと告げる。
「しかしずい分と小さいな、話では大きいものなんだろう?」
「……どこでそんな情報手に入れた」
「道中はたいくつだからな」
どうやら化野を馬で迎えに行った男がしゃべっていたらしい、まったくとつぶやいてギンコは続けた。
「確かに大きいもののはずだが、別の蟲がそれを止めている」
「蟲が蟲を? それはひょっとしてこの蔓か」
「まぁそうだな」
のんきにギンコが答えるので、化野は腕組をしてううむとうなる、加平はふたりの会話をただ黙って聞いていた。ギンコが光の珠に絡む蔓に近づいて見る。
「ああ、こりゃあもう手遅れだな」
「手遅れ?」
「ああ、完全に代わっている」
「……代わる?」
加平が聞き返すとみし、と珠が音を立てた。化野がギンコを見る。
「何の音だ」
「やべぇ、離れろ!」
ふたりが素早く離れるのを見て加平は驚き、そしてあわててそこから走った。みしみし、というなにかが軋む音とともに、蔓に絡まれた球体がゆっくりと空へ上っていく。絡まっていた蔓は端から枯れ落ち地にぱらぱらと落ちていき、下から輝く光が現れる。その光景はまるで虫が脱皮をしているようだ。


「……星だ」


夜空に煌々と輝く光は、今まで何度も見ていた記憶の中の光と一緒で加平は嬉しくなった。規模こそ小さいが、明るさといい形といいまさに星そのものなのだ。
「これは……なんで現れたんだ、蟲は」
加平が興奮しながら問いかけるとギンコはああと答える。
「蟲が、あの円雷珠にとってかわったんだ」
「え?」
「カワリタネという蟲がいる、その蟲は別の蟲に取り付いて長い時間をかけてその蟲に代わる蟲だ」
「代わるって、全部か」
化野に言われてギンコはうなずく。その蟲の姿形、習性までをも。そしてその蟲に代わり、生きていくのだ。加平はなら、とつぶやいた。
「あれは、あの星じゃないのか」
「違うが、そうでもある」
「それはどういう───────」
加平がさらに問うと夜空がちかちかと光りだした。驚いて空を見上げると星が点滅していた。今にも消えそうな弱い光になっていく。化野があわててギンコに言った。
「おい、消えるのか」
「消えない」
「消えそうだぞ」
「いいから黙ってみてろ」
イライラしたギンコが化野の頬を引っ張ると化野はいでで、と言いながらつねられた頬をなでた。加平は頭上に輝く星を見てそうか、とつぶやく。
「今夜は、新月だ」
パッ、と辺りを光が強く照らし、そしてはじけるように霧散した。散り散りになった光は遠くへと飛び散り、山の中、木に草に水にと吸収されて消えていく。残ったものも風に流されているように空へと昇っていった。ギンコがささやくように告げる。



「カワリタネはこれから円雷珠としてこれからこの山に居座り、数年毎に空へと上るだろう」
「……そうか、それが代わるということか」
その蟲となりきって存在し続ける蟲、今はまだなりたてで大きさも小さいが、すぐに成長して今まで見ていた円雷珠と同じ大きさになり、新月になると夜空に輝く。そして村の者を安心させるだろう。
「蔓が襲ってきたり気が触れたのも、その蟲が自分の身を守るためだったのか」
「気がふれたのは単に中てられただけだ」
説明すると長くなるが、とギンコは前置きした。
「ここは命の水が通る場所で、力が溜まりやすくそれゆえ災いも起きる。が、それを円雷珠が少しずつ食べ、数年毎に吸収したものを今のように発散させて遠くまで飛ばしていたんだ」
だから、たいしたことも起きず今まで無事に済んでいた、しかしカワリタネが現れて円雷珠になりかわるため閉じ込めたので、それが狂ってしまったらしい。加平がでは、と言った。
「俺の息子が、行方がわからんのは」
「それは単に出てっただけだろうな」
これらの蟲が何かをしでかしたとは思えないし、加平を襲ったカワリタネも命までは取らないはずだ。
「おそらく、隣の娘と」
それを聞いて加平はああ、とうめいてその場にへたりこむ、安心したのだろう、よかったとうなずいて笑っている。
「村の者にはなんて説明する?」
「……そうだなあ、まぁかいつまんで説明するか」
化野の問いかけにギンコは答えて、そして嬉しそうな加平を見つめ、小さく微笑んだ。






「───────というわけで、あの蟲は戻りました」


翌朝ギンコは村で待っていた男たちに説明した、カワリタネがなりかわったのではなく、蟲が邪魔をしていただけだと伝えた。村長をはじめ男たちは嬉しそうにそれを聞いている。その蟲が余計なものを霧散させていることも告げた。いい蟲なのかと皆胸をなでおろしている。
「数年後にまた星が現れるんだな?」
「ええ、まぁ」
「よかった、よかった…」
ギンコはため息をついてさてと荷に手を伸ばす、解決もしたしこれからまた旅をするためだ。礼を何度も言われ振り返ると、荷を持った化野が立っていた。
「ああ、そうだ。お前を送ってもらわんと」
「いや、いらんぞ。歩いて帰る」
「……歩いて?」
普段遠出をしない男が何を言うのかとギンコが目を丸くすると、化野はにこやかに言った。
「ただしお前と一緒にな」
「は?」
「そもそもいきなり呼びつけておいて礼もなし、なんてないだろう、里への案内がその駄賃だ」
「いや、化野」
「お前、もう何ヶ月帰ってきていないと思う」
「………」
声を落してつぶやく化野を見てギンコは押し黙る、確かにいつもより間は空いている。けれど、とギンコは思った。
「……お前んちに帰ったらただじゃすまんだろう」
「人聞きが悪いな。じゃあ皆さん、世話になった」
化野は村の者に手を振ってギンコの腕をつかみ、ぐいぐいと引っ張り始める。おいとギンコが文句を言うが効果は無い。加平が遠くなっていくふたりにおおいと声をかけた。
「有難う、世話になった」
山への道、木々の間からふたりは振り向き、手を振り返してくれた。相変わらず嬉しそうな化野と呆れ顔のギンコだったが、加平はそれを見て嬉しそうに笑う。真相を知っているのは加平だけ。あとはのんきな蟲師と、風変わりな医者の三人だけだった。





後日、ギンコのところに加平から文が届く。

息子が帰って来たこと、隣に住んでいた娘との間に子が生まれたことを。
数年後に現れるであろう、なりかわった蟲を三人と見れるのが楽しみだとあった。






             おわり






「謎の蟲名一覧」より『円雷珠(えんらいじゅ)』『カワリタネ(替わり種)』

作者コメントより
円雷珠がカワリタネにつかまっている光景は、山口の長門峡で見た木に蔓が幾重にも絡まっているものからいただきました。蟲が蟲にとってかわる。こんなのもいるのでは、なんて想像です(笑)
カワリタネはそのままだと生きられないから、という裏設定がございます(笑) だからなりかわる、そんな変わった蟲です。

JIN・投稿

08/07/30