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移緋



移緋

へぇ。これがもう何百年も前のものとは…

胡散臭い行商人がひとつの巻物を取り出し拡げたときに
もうすでに気持ちは決まっていた。

目に飛び込んできた鮮明な赤。

描かれているのは美人画だろう。
春画とまではいかないが、なかなかに色のある情景だった。

面白いのは赤以外の色はくすみ褪せている。
見事な柄の着物を肩から掛けていたのだろうが、
赤ばかりが鮮やかでは元の美しさを思い描くのは困難だった。

しかし、その奇妙な事柄には何かしらあるだろうと、
好事家の勘がピンと働いたのだ。

この勘に裏切られて、煩く言われることもしばしばあるが、まぁ。

聞けば、やはり蟲とおぼしきものの仕業らしい。
見初めた娘に贈った着物、そしてその後の顛末。
想い留めた緋色だけが、愛された頃の姿を映した画に移ったのだと…
行商人が興味をそそる様に語る口上はほとんど耳から抜けていく。

目を奪う緋色。

ひととおりの口上を述べ終えて、その者は商談へと話題を変えた。
まだまだ、自分を相手にふっかけてくるには経験が浅いようだった。

気に入ったものを手にするために惜しむものはないが…
程よい値であるほうがいいだろう。

きっとまたいつものように見せて、いつものように呆れられるのだから。
まあ妥当だなと言わせられるものなら、そちらを選ぶまで。


改めて手に取って間近に眺めてみれば、色褪せてはいるものの、
うっすらと残る筆跡は隅々まで細やかに書き込まれている。

それを目で追っていると、ゆらりとめまいがしたようになった。


しかし、今のは…
めまいならば目の前すべてが回るだろう。
画の緋色が浮き上がって波打つようにならなかったか。

嫌な予感がして、早急に化野は本日の蒐集物を巻きなおす。
そうするとシンと巻物から感じていた好事家の鼻を擽る香が
静かにその中へと閉じ込められた。

***

「またか。」

呆れた声もなんのその。
どうだ?何かの蟲に関わるものじゃないか?
嬉々として尋ねれば、まぁまずは見せろやと面倒くさそうにして
手を伸ばしてくる。なんだ、お前も興味があるんじゃないか。

気が乗らない紛い物なら、とうに向こうをむいて煙草をふかしている。
ふむ、と声を漏らし顎へと指をかけて思案顔。
あだしの、と掛かる声は僅かに苦味を帯びている。

なんだ、なにか障りでもあるのか。
過去に一度やらかしてからは気をつけている…と思うのだが。
障りはない、と告げられてそれならば安心じゃないかと、ほっと息をつく。

浮かれるままに手にした巻物を眺めれば、好きなだけ愛でてやりゃいいさ、
と不機嫌そうに言ってそっぽを向く。

まさかと思うが、巻物の画に嫉妬なぞ・・
言い終える前に、するわけないだろうと突っ込み返す顰め面。

その蟲は一番愛でられる処を好んで移り住むからな、と。
せいぜい放れんように愛でていてやるんだな、と二度までも念を押された。

しかしなぁ、ギンコ。
不機嫌になるのも、
煙草の咥えた端を僅かに噛むのも。

お前の構われたい時の癖だよと、言わぬが花。


その巻物を机へと放り置いて
ギンコの傍へとにじり寄る。



ぱさりと、無造作に放りだされた巻物は
紐が解けて重なる二人の先で
その姿を露にしてゆらりと蠢いた。







なっ・・

ふわりと巻物から緋色の部分が浮き上がる。
真っ赤な霧のように姿を変えて、くるりと巻物の上を一回りすると
化野の下で身動くギンコへ向かって吸い込まれるように飛んでくる。
そして真白いギンコの肌の上辿る化野の指を追うように文様が浮かび上がり、
次第に触れた化野の指の先から腕を伝い背へ胸元へ、喉へと拡がる。
互いの触れ合う部分を通り過ぎて、緋色の文様は全身を伝い隙間無く絡んでいく。

蟲の這い回る感覚に先に堪えられなくなったギンコのふっと薄らぐ意識に
誘われるように化野を纏っていた緋色もするすると波引くようにギンコの肌の上へと戻っていく。
暫くそのまま蠢いて、そしてギンコの肌から浮き上がり吸い込まれた時と同じように
一巡してから霧散し消えていった。




何だったんだ今のは?
化野が驚いたまま問えば、ギンコはさぁなとしか応えない。

移緋は一番愛でられる処に移り住む蟲だったか?


思い出すままに呟けば口を噤んで顰め面。

まさか居場所が無くて、他へと探しに出たのか。


言いながら腕を潜らせ顰め面を肩へと抱き寄せれば
表情は隠れてトンと力の抜けた頭を寄せてくる。



それとも・・・











言葉を切った化野に
ギンコは訝しみ先を即した。



愛でられることに満足したのかもしれんぞ?




にこにこと笑う化野に、ギンコは溜息一つ。
ゆるりと両腕を背に絡げ抱き締めた。


 終






「謎の蟲名一欄」より『移緋(うつしひ)』

影太朗様・投稿


08/07/29