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円 雷 珠
傍にいるだけで、お前にはどれだけが伝わる?
そう考えたのは俺だと思っていたけど、抱き合ってなぞり合って吸い合って、震え合って放ち合って声あげ合って、やっと息を落ち着かせた後で、ぽそりと呟いた化野の声に、お前もだったのか、と変な気がした。
だってなぁ、お前、ずっと机に向ってて、今日の診察の記録だかなんだかを、もうずうっとずうっと書き続けていたじゃないか。
その間俺が、木箱の抽斗を開けたり閉めたりし、蟲煙草を三本も吸って、二度もちょいと咽てみせ、腹減ったとも言ったし、寒くねぇかとか言ったし、終いにゃぼんやりお前の後ろ頭眺めて、心で呟いていたんだってのに。
眺めてるだけで、お前にはどれだけが伝わる?
そう思っていたのは、確かに俺だけれど、振り向いて目が合った途端に寄ってきて、俺を抱き寄せ抱き締め押し倒し、硬い板の間で最後までやっちまってくれたのはお前だよ。
締めた障子の向こうが、瞬間、目映い青い光に満たされた。
あ、光ったな。
ぅん、鳴るな。
ゴロゴロゴロゴロ。
雷だ、まだまだ光るぞ、見ないか?
なんて、目を輝かせて言う化野は、俺が蟲話を聞かせている時と同じ子供のような興奮した顔。雷が好きなんてぇのは、ちと変わったガキかもしれないが、蟲を愛でると同じ気持ちで、こいつは自然現象も好きなんだ。そんなお前を俺が好きなんだ。
開けた障子のその向こう、また、ぱぁ…と空一面が光る。白い青い光。白金の雷そのものは何処だ? 化野、きょろきょろと落ち着かない。どこにも見えない稲光を、今にも外へ出て行きそうに身を乗り出して空に探す。
蟲
と、俺は言った。
何
と、化野は聞き返した。
円雷珠、だ。そら、向こうの海の上、厚そうな暗い雲の中、一点だけが、ぼうと明るいだろが。あそこを見てな。また光る。お、そら、な?
光一つ、ぼう…と。
そうして次には、
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
目ぇ離すなよ、日頃のおこないがよけりゃぁ、見られるぜ。
何がだ。
だから! 目ぇ離すなって、言ってる傍から。…見ろ!
暗いその雲の真ん中、光っている部分が、ゆるり下へと垂れてくる。零れる雫のようなそこは、明るい何かを綿に包むように、光ったままでいて。その綿のような雲が裂け、姿を表わしたのは光の珠だった。それも、まるで生き物のごとく、内側の光を弾けさせている。
弾けている光は、雷、だった。
きら!
くる・くるくる!
と、雷は外へ出られずに、珠の中で光りながら、巻かれる糸のように暴れまわっている。これでは空を裂く稲光は見えない筈だ。雷特有の音だけは、そこから空一面に、ゴロゴロゴロと、響いている。綺麗だ。それにしても、綺麗だ。
目ぇ、離すなよ。
と、ギンコはもう一度言った。
線香花火ってあるだろ。一度だけ遠目で見たんだがな。実はあれ、結構好きなんだ。
ぽそりと呟くギンコの、それは子供の頃の記憶だろうか。いつの? 一度記憶を失くす前? その後のことか? どちらだろう。確かめられず、黙り込む。好きだって? そうか…。そうなのか。そりゃあ…もう、凄く嬉しいな!などと、俺は思う。
だって、実は。実はな? う、うっわぁ!
叫んじまった。丸く丸く渦を巻く雷を、内側に閉じ込め、細い光を、ちらちらと外へと弾けさせながら、その珠が一気に海へと落ちていくのだ。目を見開き、息を飲み、見つめている前で、光る珠は。
夜の、静かな凪の、海へと。
じゅ…。
雷の音よりは小さいけれど、それでも充分大きな音を立てて、珠は海に落ちて消えてしまった。
あー、終わった終わった。寝るぞー。
などとギンコは言う。そんな彼の腕を無理やり引っ張って、着物を着せ掛けて縁側へと連れて行く。満面の笑みで取り出したものを見て、今度はギンコが目を丸くした。
線香花火は、俺も好きなんだ。
お前とやろうと思って、子供らに少し分けて貰っといた。
二本ずつ、だけだけどな。
そらそら、持って。今、火を、な?
夏の夜は寒くは無い。火照った体を、ゆっくりと冷ましてくれる静かな風。ぱちぱち、と爆ぜる花火の光。
なぁ。
と、ギンコは言った。
ん。
と、俺は返した。
ありがとうな、と聞こえた「なぁ」。
俺も嬉しいんだ、と込めた「ん」。
呼びかけだけで、言葉が要らない時がある。それが何より、幸せな、夏のある一夜のこと。
終
オマケ ↓
円雷珠、その後(身の内の火珠さらに)
お前に着せ掛けた、藍の着物を飾るように、花火の白と橙の光。
そんなにきれいで、きれいで、お前。
これ以上、俺を惑わせてどうする気だ?
日誌を付けながら背中を向けて、お前の気配を首筋に感じてた。
木箱の抽斗を開ける音、閉じる音。
蟲煙草の香りは、段々と煙いほどに濃くなって、
けほけほ、けほけほ、お前の咳き込むのが聞こえたが、
わざとらしいのは気のせいだったか?
腹が減ったってか、
さっき食べたばかりで腹さすってたのは誰だっけ?
寒くねぇかって、それでも何か羽織ったら汗ばむだろ。
お前の翠の眼差しが、いつしか、じとり、と後ろ頭に刺さって、
ただの視線だから痛くはないが、
それにしても、どうしてこうもお前を欲しくなっちまう?
日誌、あと数行だと堪える我慢が、とうとうぷちり、切れて。
そんな時の俺はまるで
お前に吸い寄せられるという、数多の蟲の一種のようだろ。
お前に着せ掛けた藍の着物。
それだけで白の肌、白の髪、翠の瞳に映えて
どうしようもなく色めいて見えるんだ。
なのに、花火の光の白と橙の色までが、
お前を飾って麗しい。
なぁ、と今度は俺から言う。
ん、とお前はすこしく笑って返事する。
判ってるのか? 今のは「も一度いいか」の問いなのに。
判ってなくとも構うものかと、俺はお前の返事の中身を聞き返さない。
互いに二本目の線香花火の、橙の可愛い火珠が落ちた。
夏虫の声遠のいて闇が来る。口づけしたくてお前の肩を抱く。
待ちかねたように、とっくに目を閉じていた、
お前の綺麗な白い睫毛は、震えながらも、
その唇よりも、余程口数が多かった。
「抱いてくれ」ってか。「待ってた」ってか。「二度目も欲しい」って?
あぁ、お前が好きだよ。
今夜は、昨日の夜よりもずっと。
たぶん明日の朝になれば、さらにもっと。
なぁ、お前。
これ以上、俺を惑わせてどうする気だ?
終
「謎の蟲名一欄」より『円雷珠』
作者コメントより
雷を珠に閉じ込める凄い蟲かと思いきや、あんた巨大線香花火なのかい?! でも山にでも落ちたら山火事かも! 案外怖いやつさ。笑。
惑い星・投稿
08/07/24