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軒借り時雨



 ざん!

 と、デカい雨の雫が無数に降り頻る。雨宿りに借りた、おんぼろな空き家の軒下で、だった。ギンコは白の髪から白の服から何から、すべてずぶ濡れの有様。見れば、軒の外は単なる小雨で、ギンコのいる場所だけが、その車軸る冷たい雨なのだ。

「…なんなんだ、こりゃ……」
 自らに起きた情況に、ついついぼやく言葉が出る。
「何っつって、軒借り時雨…か」
 蟲の仕業だ。怒ったってしょうがない。何しろ蟲らも、俺ら人間も、皆、生きてきたその刹那から、皆、あるようにあるだけ、なのだから。

 あぁ、それにしても、こんなに土砂降りに降ることもないだろうに。と、そう思いながらギンコは、黒い針のようにも見える、強くて激しい雨の粒に打たれている。この蟲は自らの宿った軒の下に、入ってきた生き物の心を吸うのだ。
 そういえばさっき、ここに走り込んだ時、ギンコは怒っていた。道であった商人から買った傘が酷く破れていたからだ。つまりは軒借り時雨が、ギンコのその心を吸ったから、こんなに酷い雨だということ。

「ま、なるようにしかならんしな」

 呟いて、ギンコは破れ傘をさした。破れてはいても少しは雨粒を凌げる。買い叩いて、とびきり安く買ったのだし、考えてみればそれほど怒ることもあるまい。雨の香りと木々の香り、土の香りの匂いを胸に吸い込み、ついでに心の奥の潮の香りを思い出す。
 木々に小雨の当たる音が、覚えている波音と重なり、彼の名を呼ぶ声も耳に届いてくる。気付けば雨は、軒の中でも外でも止んでいた。

「そういやお前な」
 と、ギンコは蟲に向けたような独り言を言う。
「時雨ってのは、秋の雨の名じゃなかったか? まだ夏だけどな」

 寒い季節のように、雫が冷たいのでそう呼ばれたか、それとも初めて見つけられたとき、そんな季節だったのか。時雨と名の付くくせに、意表を突いたヤツめ、と。
 すると、まるで返事をするように、傘の破れ目を通って、ギンコの頭のてっぺんに、ぽつり!と大きな一滴が落ちた。それの雫が髪の中を流れ、額を通り、鼻の横を通って、ギンコの唇の端にかすめていく。潮の味がして、ギンコはまたぼやいた。

 お前な、人の心を吸うのはいいが、
 ほんのちょいと思い出した海の潮まで、
 真似ることもなかろうが。


 終






「謎の蟲名一欄」より『軒借り時雨(のきがりしぐれ)』


惑い星・投稿


08/07/20