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『てんまる』



「名前は『てんまる』ってんだけどな。ちょいと預かってくれ。どうせお前にゃ見えないだろうから、まぁ、蔵の隅の、日の当たらない場所にでも、置いといてくれりゃ、それでいいから」

 そう言ってギンコが、小さな瓶を渡してきた。

 ついこないだのことだ。それにしても酷いと思わないか? 見えないだろってんで大した説明もなく置いてって、こっちはあれから気になって気になって、日に何度もこの瓶を見に行く始末だ。夜だって眠れやせんよ。最近、ただでも暑くて寝苦しいってのに。
 そうしたらギンコがこの前、木箱を置いてたあたりに、巻物が一つ転がっている。そりゃあ見るよな。見ない手はない。すると「てんまる」のことが載っていた。貪るように、俺は読んだね。

 うん。
 ふむふむ。
 なに?
 はぁはぁ。
 へぇぇぇ〜。
 そりゃぁ面白い。
 えっ、見る方法もある?
 俺にもか?
 そりゃどんな方法で。
 え、そんなんでいいのか…?
 嘘だろう。
 まさか。


 どうしたかって? やってみたさ。やらん手はないだろが。


*** *** ***


「てんまる」、どうした?

 よしよし。あれから三日、結構育ったな。最初は確かに、ただの「点」だったのに、すぐに「線」になって、今夜にも「丸」を描きそうだ。それで「てんまる」ねぇ。それにしてもこんな方法があろうとは。
 ただ小瓶を一晩傍に置いて、姿が見たい、見たいと心を込めて言い続けていれば、それで気持ちが通じるんだなんて、嘘だろうと思ったが。三晩ずっと言い続けてみたら…。
 可愛いなぁ、お前。金色に光って、くるくる回ってて綺麗だし。気持ちが通じるというだけあって、時々俺の言葉が、ちゃんと判って反応してる気がするぞ? なぁなぁ、判ってるなら、くるりと回ってみてくれんか。そら、回ってくれ。
 おぉっ、回ったぞ。ますます可愛い! ずっとここに置いておけんもんかなぁ。なぁ、「てんまる」。俺はお前を傍に置きたいぞ。そうか、お前も傍にいたいか。嬉しいなぁ。


*** *** ***


 それで更に数日経った今日も、俺は「てんまる」の瓶を膝に置いて、飽きずに眺め続けていたわけだが、その縁側からふと見ると、ギンコが坂を登ってくる。
 どうした訳だ? まだあれからひと月と経ってない。まだまだ先と思ってたものを、とうとう「てんまる」とも別れなのか。見下ろせば俺の手の中で、瓶の中の「てんまる」は、今日も無邪気にくるくると回っている。

 手放したくない。別れたくない。でも…。

 哀しい思いで眺め見て、俺はすぐに立ち上がり、蔵へと駆け出した。駆け出す背中をギンコに見られている気がしたが、それでも構わず蔵に駆け込んだ。棚の奥の方へ瓶を置いて、なるべく平静な顔で外へ出て行くと、物言いたげな顔でギンコがそこに立ってた。

「お、よく来たな、ギンコ」
「……預けてたもん、取りに来た」
「あぁ、あれか…うん、何処にしまったっけかな…」
「お前、『てんまる』を傍に置いて、話しかけて育てたろ、化野」
「なっ、なんの話だ? 俺はそんな」
「ま、そうなるだろうと思って預けたんだけどな」
「えっ?」
「面白かったか?」

 ギンコはにこにこと笑っている。

「あれはなぁ、ほんの一時期だけ、人の言葉を解するんだよ。丁度今日でその時期が終わる。見えてたとしても見えなくなるしな。それで取りに来たんだよ。後は空へ離してやるだけだ。さ、出せ。それともお前、自分の欲求だけで、蟲を狭い瓶の中に、ずっと閉じ込めておくつもりか?」

 可愛い可愛い「てんまる」の姿が、その時、俺の脳裏に浮かんだ。頭の中ではぐるぐると、手放したくない、離れたくないと、痛いような気持ちが渦巻いていたけど。
 ギンコはそんな俺の横をすり抜け、蔵の中へと入って行くと、隠してあった場所をすぐに見つけ、瓶を掴んで取り出している。その中には既に「てんまる」の姿は無く。…いいや、居ても俺には見えず。

「『てんまる』は…」
「ん?」
「俺のこと忘れちまうのか?」
「…さてね。どうだろうな。俺も人語を話さない蟲の言葉は判らんし」
「そうか」
 ギンコはちょいと身を寄せて、唐突にひとつ、口づけをくれた。
「悪いことしたか、化野」
「いや…可愛かったよ、凄く」

 泣き笑いのような顔だったろうか。俺は瓶に手を触れて、もう聞こえないかもしれなくても、もう一度だけ話しかけた。

「元気でな『てんまる』。俺は忘れないからな」


*** *** ***


 ここから先は、俺の知らぬこと。「てんまる」を手放す寂しさのせいか、随分長くギンコと抱き合って、夜半過ぎに俺が眠っている間のことだ。

 ギンコは瓶の蓋を開け、それを畳の上で傾けて、入っていた蟲を其処へと離した。「てんまる」はころころと転がり出て、ギンコには見えている金色の綺麗な、可愛い姿でふわふわと、低い場所をゆっくり飛んで。
 そうして部屋の四隅四隅へと転がり、壁を撫でるように飛び回り、最後に隣の部屋への襖の、引手のところにぴたりとくっ付いた。そのまま引手の丸い形にはまって動かなくなる。

「そこがいいのか? いい場所選んだなぁ『てんまる』」

 ギンコは一人、笑って言って、そのまままた俺の隣に横になり、布団を被ってから声を立てずに笑っている。その場所なら、毎日毎度、化野の手が触れて、知らずともお前を愛でてくれるもんな。


*** *** ***


 てんまる

 寿命は人と同じほど長く、どんな些細な害も無い希少な蟲。姿の見えている間の愛らしい姿のせいか、これを愛玩したがるものも多いが、特定の人間に懐くことは少ない。ただし、一人に懐けば、生涯その傍を離れずにいるという。











「一から創作蟲」の『てんまる』

作者コメントより
 実はこれ、企画の扉絵にいる「あっとまーく」(のような)蟲をイメージして書きました。イラストを書いてくださった影太朗様、ありがとうございます。ギンコの足元にいる、まあるい金色のあれですよ。

先生が疲れ切っていたり、落ち込んでいたりすると、ギンコの代わりに「てんまる」が、ふわふわと宙を漂って、彼の肩や頭の上で、微力ながら癒してくれるのだといいな。そんなふうに思っています。

惑い星・投稿


08/06/18