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夢の花紬ぐ




「珍しいものをやろう。医家先生への土産にでもしなよ」

 イサザにそう言われ、ギンコは正直、ありがたい、と思ってしまっていた。この前、化野のところにいった時、持っていた蟲絡みの品を、欲しい欲しいと散々せがまれた。これは危ないから駄目だ、と断ったギンコは、次に来た時は、必ず何か持ってきてやるから、と、約束させられていたのである。
 化野がそれを忘れていてくれるはずは無く、今現在、何も持っていないギンコは、やるものが見つかるまで、会いにもいけやしないと落胆していたのだった。
「おぉ、どれだ。見せてくれ、イサザ」
「…見せてもいいが、代価が先だな」

 やる、と言った癖に、代価は取るのだとイサザは言う。如何にも彼が言いそうなことで、ギンコは怒る気にもなれなかった。財布を取り出し、幾らだ、高いのかと問えば、イサザは意味深な笑いを見せて、ギンコの頬に指を触れる。
 撫でられ、髪の中に指を入れられ、目を見開いてイサザを見返した。そりゃあ、昔は何度か寝たが、最近じゃそんな誘いはしてこなかったし、もうそんな関係になるなぞ、考えてもみなかったのに。

「代価…」
「…お察しの通りさ。一度きりで構わねぇよ。単なる遊びみたいなもんだし。いいだろ? ギンコ」
「待ってくれ。それ、どんな品なんだ。蟲絡みなんだろう、ほんとにあいつが喜ぶようなものなんだろうな」
 あぁ、何を言ってるんだ、俺は。これじゃあ、化野が喜ぶ品なら、身売りも厭わないと言ったようなもんだ。
 思ったとおりイサザは笑いを深め、ギンコは無意識に、自分のシャツの襟に手を掛けている。やっぱり化野の喜ぶ顔が見たい。その為なら別にいい。相手はイサザで、昔から馴染みの相手、少しは慣れた肌、そして知った愛撫。一度きりだと、そう言っているんだし。

「イサザ…」
「…ぶ…っ。…くっくっくっ…」
 唐突にイサザは笑い出し、ギンコは呆気にとられて口を閉じるのさえ忘れた。その口に唇を重ね、ちろりと舌先で口内を舐めると、すぐに離れてイサザはさらに笑う。
「お前、面白いな。それほど惚れてるのか? ものが何かも確かめず、体ぁ投げ出して珍品欲しがって…。そんな安く自分を売るなよ、ギンコ。こんなもん、口吸い一つで充分だ」

 そうして、チカリ、と日に透けた半透明の粒。ある蟲の種が、たった一つ小瓶に入れられ、イサザの手からギンコの手へと投げ渡されたのだった。


 *** *** ***

 
「背中…。しかも、素肌にじかに…」

 ギンコは化野の家に居る。イサザから蟲の説明を聞いて、それから真っ直ぐにここへ来たから、あれから半月と経っていない。聞かされた蟲の用法を、それほど面倒だと思わずに持ってきたが、これから使おうと思ってギンコは困惑し始めた。
 今、化野はギンコと自分の為に、隣の部屋に布団を敷きに行っている。まさに今が使い時。

 蟲はその名を「ゆめはなつむぎ」といい、眠っている人に付けると、その人の願いや夢を、植物の色と形に映して咲かせ、それにその咲いた花の姿が、うまくすると傍にある布に写し込まれるらしい。
 どんな花か知らないが、蟲の姿が写った着物が出来れば、化野がどれだけ喜ぶか、想像するだけでギンコも幸せだ。それにはやはり秘密にしたままで、やってみなければならないだろう。

「おぅい、布団が敷けたぞ、こっち来い、ギンコ」
「……猫の子とかと間違ってないか、俺のこと」
「いいや。猫の子なら声なぞ掛けずに抱き上げるさ」
「馬鹿」

 浮かれた声の、他愛ないやりとり。化野は実は少し酔っている。

 ギンコが手の中に握り込んだ種は、今も小瓶に入っていた。何しろ人の肌の温度に触れると、その肌にすぐに溶け込んでしまうため、じかに握るならほんの一瞬にしなきゃならず、うっかりすると化野ではなく、ギンコ自身の中に種が取り込まれてしまう。
 つまりは瓶から出してすぐに、化野の背中にくっつけなきゃならないという事。簡単そうだが、それが実に難しく、ギンコは取りあえず化野を酒に酔わせてみたのだった。そうして隙をみて背中につける…のだが、着物を脱いでもらわなきゃ始まらない。

 着物を脱ぐといえば、風呂。もしくは着替え。それか化野がギンコを抱くときだ。風呂についていくわけに行かず、着替えは風呂場でされたためその機会も逃がし、もう残るのはあと一つ。抱かれながら隙をみて…出来そうもなくてギンコは頭を抱えたくなっていた。

 お、そうだ。何も着物を脱いだ後じゃなくたって、
 口づけされながら腕を彼の背へ回し、
 襟から手を入れて背中に付ければいいのじゃないだろうか。

 ギンコはそう思い当たり、化野が自分に身を寄せてきて、顔を近付けてきたらやってみよう、と、手の中で瓶の蓋を開けている。と、その時、手がするりと滑って、瓶から種が零れてしまったのだ…!

「あっ!」
「ん、どうした?」
「いや、な…なんでもない」
「そうか、変なヤツだな」
「あっ、ぁああ…」
「ギンコ、お前も酔ったみたいだなぁ」

 上機嫌で化野は笑い、ギンコを布団の上に押し倒した。ギンコは酷くがっかりして、ついさっき、化野が踏んだあたりの畳を見る。そこに転げた「ゆめはなつむぎ」の種は、どうやら化野の足の裏にくっついて、そこから彼の体に取り込まれてしまったらしい。
 イサザから「背中に」と聞いてたのに、よりによって足の裏。そんなんじゃ効果はないだろうか。無理だろうな、と落胆し、萎れながらギンコは化野の口づけを受けるのだった。





「ギンコ…。なぁ、ギンコ…」

 化野は枕元で何度かギンコの名を呼んだ。昨夜は半分酔いながらギンコと布団で絡まりあって、いつものように、いつものことをしたのだけれど。こうして朝になって思い出してみれば、ギンコの様子がいつもとは違っていたような。
 どう違ったかと言えばよく判らないが、なんとなく、何かに落胆しているような。がっかりしているというか、凹んでいるというか…。それも愛撫に喘いでいるうちに、いつもの彼になったから、それきり化野も忘れて快楽に没頭してしまったのだ。

「ギンコ」

 呼べどもギンコの眠りは深く、一向、目を覚ましてはくれなくて、化野はそうっと布団を抜け出し、昨日脱ぎ捨てた藍の色の着物に袖を通す。見ればギンコの裸の肩が寒そうで、もう一枚着物を出してきて、そろりと布団を捲り上げ裸の体を覆ってやった。
 一瞬見えた素肌の真白は、彼の目を釘付けにするのに充分で、化野はつい、どきりと心臓を跳ね上げる。あぁ、あぁ、駄目だ駄目だ。ここでまた寝ているこいつに手なんぞ出したら、しばし拗ねられて大変なんだ。
 それにしても…。素っ裸でさらに布団まで剥がれ、寒そうに身震いするまでしても、目を覚まさないその安心しきった姿が、嬉しくて、嬉しくて。
 化野はギンコの隣に身を寄せて、自分と彼の上に掛け布団を引き寄せながら、起こさないようにそっと抱き寄せた。温かな肌に目を細め、もっと身を寄せたくて彼の頭の下に腕を入れ、腕枕をしてやりながら、頬に頬を寄せる。

「たまにゃ、寝坊も許されるだろ…」

 起きて朝飯がまだだからと言って、ギンコが腹を立てるとも思わないが、いつもならば先に起きて、二人分の朝飯を用意する彼なのだ。

 あぁ、なんだか、あたたかい。
 身を寄せ合ってるせいにしても随分。
 特に、ギンコの枕に貸してやってる、右の腕が酷く熱くて、
 それだけじゃなくて、臂のあたりが疼くような。

「ん…ん…」
「あぁ、起きたのか、ギンコ。今朝はもう少し寝ていよう。なんだか…。そうだ、なんだか右腕が少し熱くてだるくてな」 
「…ん? 右う、で…? って、おぃ、じゃあ腕枕なんか…」

 言いかけて首を巡らせたギンコが、急に言葉を止め、視線も一点に留めて黙り込む。
「どうした? 腕枕のせいじゃないぞ、お前はなんにも心配せんでも、な」
「……あ、うん…そう、か」
「ああ、ギンコ、昨夜はなんか心配事でもあったのか? 聞いてやらんで抱いちまって、悪かったか?」
「あ? い、いや、別に…なんでも…」

 何を聞いても歯切れの悪いギンコの、そんな様子を化野は気にしたが、ギンコはギンコで、化野の視線を気にしている余裕は無い。彼が振り向いた自分の肩の辺り、丁度、化野の右腕の、臂から先くらいの場所だろうか。何やら淡い色をした何かが、空気に滲んで見えるのだ。
 蒼、とも碧、ともつかぬ色。それが段々濃い色になって、今は海の蒼と草木の碧を足して二で割ったような、綺麗な半透明な何か。「それ」はギンコの視野の端で、くるくる、くるくるくると。
 少しずつ伸びていき、枝分かれした先がまたくるくると、可愛い薇(ぜんまい)の先のように丸まって。

 あぁ、そうか、これか。と、ギンコは思った。イサザが、背中じゃないと、と言うから、足の裏なんかじゃ全然駄目なのかと思ったのに、一晩掛けて育って、ちゃんと化野の右の腕から芽吹いて、きっとこれから綺麗な花を咲かせてくれるのだ。そうして着物か何かに映って、化野にも見えるのだろう。
 ほら、見ろ。半透明に透き通っているから、その茎の中を、銀色とも白ともつかない小さくて淡い光の粒が、それもまたくるくると、生まれては先端へ向って動いている。きっとこれが花の素かな。

 早く花の芽になれ、早く咲いて見せてくれと、ギンコはその蟲の姿に夢中だった。だって、これは、他ならぬ化野の夢の花なのだ。出来るならばその夢を叶えたい、無理ならば、蟲の力を借りて、この花だけでも咲くところが見たいと、そう思う。

 そして、どことなく、ゆめうつつのようにぼんやりと目を細め、微かに微笑んで見えるそんなギンコの様子を、化野は少し不思議そうに見ていた。きっと半分しか目覚めていないんだろう、じゃあまた眠るまで見守ろうかと、黙って静かに抱いていてくれる。





 でも見守っているギンコの顔が、また昨日のように、どことなく落胆したような顔になり、しまいには何故だか、その瞳が涙まで浮かべそうに揺れ出して、化野は無意識に強くギンコを抱き締める。

「ギンコ、悩みかなんかあるんなら、俺に」
「…お前の願いって、なんだ?」
「え?」
「なぁ、願いとか、夢とか…あるだろう…?」

 真剣に聞いてくるギンコの視野の隅で、蟲は蒼と碧の不思議な茎を、くるくると伸ばし続けている。そうして茎の中で、白と銀の光の粒を揺らしているのだが、そのどの粒もどの茎の先も、花の芽一つ結ぶ事はなく。
 銀の粒、白の粒は、茎の中で迷い惑うばかりだ。それがまるで、彼の願いや夢が、ひとつきりとて叶えられないと、そう告げているように思えて。

「…願い。…夢…ったって、なぁ…」
 そりゃあるよ。でも言ったら困るだろう、お前。

 そんな言葉は胸に秘め、化野はギンコの頬に口づけをする。それだけは、どうしたって出来ないのだと、辛い顔してお前が告げたのは、もう随分前のことになるが。

 お前がお前である限り
 俺が俺である限り
 生涯離れず居るなどと
 叶えられない遠い夢

「そう…なぁ。もっと医術に精通したいな。里のものらの病も怪我も、勿論お前のも、全部俺がなんとかしてやれるように。それとか、もっと安価で薬を皆に渡せればと…」
「…そうじゃ、なくてっ」
 あぁ、それもきっと化野のほんとの願い、なのだろう。彼がギンコや里人のことを思い、いつも精進していることは判っている。でもそんな、ゆっくりと少しずつ進むような、叶ったかどうか判らない様なものじゃなくて。すると唐突に化野が言った。
「そうだ…っ。じゃあな、お前から俺に、接吻してくれるか?」
「接吻…」
 かぁ、と頬を赤らめたギンコに、にこにこと笑顔を見せながら、化野はギンコの顔へと顔を寄せた。
「お前から俺に、ってのは考えてみたら、一度か…せいぜい二度くらいしかして貰ってないんだ。さ、してくれ」
 顔を赤くしながら、ギンコは首を少し持ち上げて、そっと自分の唇を化野の唇へ掠らせた。すると方の後ろで、ちいさく、ぽん、と音がして、恐る恐る見ると、小指の先ほどの可愛い白い花が、一番下の枝先に開いていたのだ。

 嬉しくなって、ギンコはもう一度化野に口づけした。今度は少し深く長く、重ねてみると、ぽぽぽん、と音が続けて鳴って、見ればさっきの花のすぐ下に、同じ形の白い花が三つ四つ連なって咲いている。
 やっぱりそうだ。願いが叶えば花が咲くのだ。するとこの透き通った茎の中で咲けずにくるくる動いているのは、全て彼の、まだ叶わない願い達なのだろう。なんというか、次々生まれては回るこの数。

「欲張り過ぎ…」
「ん、なに?」
「いや、なんでも」

 もう充分に恥ずかしいから、いっそオマケだとばかりに、ギンコはもう一度化野に接吻を贈った。彼からするにしては随分と思い切った、舌先で化野の唇をなぞる、そんな大胆なやり方の。
 すると耳元で、ぽわわん、と妙な音がなり、恐る恐る見た視線の先には、さっきと同じ真っ白い花が、見事に何十も咲いていた。

「ギンコっ」
「うわ、な、なんだ…ッ。ちょ…っ、おいっ!」

 ぐい、とのしかかられて、ギンコは思わず声を上げた。そこから先は、想像通り、もう朝だとか、昨夜もしたのにとか、そんなことは御構い無しで、化野はギンコの着物の前を広げ、その胸元に口づけを繰り返す。
 ギンコの背中で、小さく小さく何かの音が聞こえていたが、化野には少しも聞こえていないらしく、行為はその後、小一時間ほども続けられたのだった。


*** *** ***


「…なんだか、奇妙な柄の着物だなぁ。翡翠色の茎に白の、鈴蘭…? にしては葉もないし。うん、綺麗は綺麗だが…柄の位置も背中の斜め上辺りと、妙に偏ってる。大体なんでこんなシワだらけなんだ?」

 言われてギンコは、思わずその着物を化野にぶつけてしまった。頭から被せられたそれを、膝の上で改めて広げ、化野はますます疑問符を頭の上に連ねている。
 よく見れば、濃青に細かい紺の桔梗の柄の、これはついさっきまで、ギンコが羽織っていた着物じゃなかったろうか。それならシワシワなのも判る、背中に敷いたまま抱かれれば、そりゃあ着物にシワは寄るだろう。だとしても、なんでこんな妙な花の柄が更に? 

「あ、もしかしてこれ、蟲の仕業なのかっっ!」
 嬉しそうに聞く化野に、とりあえず頷いてやれば、現金にも彼は着物掛けを奥から出してきて、床の間のよく見える場所にそれを飾り出した。
「そうかそうか、ありがとうな、ギンコ。何がどうなってこんな柄になったかよく判らんが、とにかく嬉しい。説明はあとで聞かせてくれな。朝飯を作ってくるから」

 上機嫌で化野は台所へと去る。翡翠色と白と銀の着物の柄を、ギンコは溜息をつきながら眺めた。
 口づけで最初に鈴蘭のような花が開いたのは判っている。他の沢山の同じ花もまぁ、想像するに、ギンコが脚を開いた時とか、欲しくて自分から腰を揺すってしまった時とか、泣きながら化野の名前を呼んだ時とか、きっとそんなことだろうと思う。
 それに、ギンコと化野が一回ずつ、殆ど同時にイった時、とか?

 恥ずかしいものを作ってしまった。しかもそれを、化野に与えてしまった。見つからないうちに、こっそり隠蔽すればよかったものを。

 ギンコは頭を抱え、まだ敷いたままだった布団の上に転がって蹲った。顔やら首やら全身までも、羞恥で熱くてしょうがない。いつまでも転がっていると、台所から化野の声が聞こえてきた。
「なぁ、ギンコ、今回はどれくらいいられる? いつも通り、四、五日か?」
「…あぁ、そのつもりだ」

 言った途端に、また、ぽん、と音がして、着物の上に小さな花が開いた。やはり鈴蘭に似た可愛らしい花だった。ギンコは溜息をつき、着物に背中を向けて、化野が自分を呼んでいる部屋まで、とぼとぼと歩いていくのだった。

 どうしてどんな切っ掛けで、この花たちは咲いたのか、化野からのそんな問いに答える気など、毛頭ないギンコであった。

 







「一から創作蟲」の『夢花紬(ゆめはなつむぎ)』

作者コメントより
影太朗様に頂いたイラストと、惑い星のノベルでコラボ♪ 蟲は影太朗様の素敵イラストを見て、惑い星が考えさせていただいた蟲でありますっ。


惑い星・投稿
イラスト・影太朗様


08/05/30