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青毛の抄
ん、何だ、蟲師か?
歩き慣れた家路を上りながら、化野は自分の行く先で揺れている四角い物体に顔を上げた。
少し大きめの背負い箱。それを背負って歩く人の姿。
見知った人のそれに似た風変わりな洋装。
背格好も歩き方も、髪型も。どれをとっても、偶の来訪を待ち焦がれてやまない人を思い出させる後姿。だがそれは、化野の良く知った人物と違って見えた。
誰だかは知らないが、化野の家を訪ねるのなら、彼の噂を聞いた事のある蟲師か、或いは治療の必要でもある者か。
後一歩で家の戸に辿り着く所まで差し迫って、やっと声をかけられるぐらいに距離を詰めた。
「よう!何か用…が…」
訪問用の医療道具と捕れたての魚を片手に下げ、もう片方の手を上げた化野の、かけようとした言葉はしかし途中で凍りついた。
***
「驚いたろ」
ふふふ、と満足そうに微笑む顔をしげしげと見つめ化野も
「驚いた!いやはや見違えたモンだ」
素直に頷いた。そして僅かに視線を上げ
「ホントに戻るんだな?その…」
髪は。最後まで言わず相手の毛髪を心配そうに見た。
想い人ではなかろう、と思っていた訪問者は、待ちつづけていたその人で。そうだと気付けなかった唯一の、だが決定的で大きな相違点が毛髪にあった。
目の前の縁側に腰掛けて茶を啜っている男。ギンコと名乗る蟲師の髪は、普段は遠めにも目立つ美しい銀色に輝いている。
それが何故か今は、どこにでも居るような…この漁村でも珍しくない黒髪。化野本人と同じ色だ。
「大丈夫。害も無いし、蟲煙草で簡単に散ってしまう弱い蟲だ」
だからここ二日間、蟲煙草は控えてたんだぞ、と笑っていうギンコ。蟲を見ることが出来ない人間の目にも変化が分かるから、きっと化野が面白がるだろうと思ってわざわざそのまま連れて来てやったのだとお仕着せがましく言う。
本音はどんな驚き方をするか、その顔が見たかったとか、その辺りだろうが。
「"青毛の抄"、といってな。普段は黒かびのような状態で森に潜んでいるが、個体が増えると移動手段として動物の体毛に一時的に寄生する。黒い蜘蛛の糸みたいな罠を張ってな…。で、普通なら憑かれた人間は気付かないもんだが、俺みたいなのや、白髪の老人なんかだと直ぐにわかるだろ。だから俗称で"白髪染め"とも呼ばれることがある」
そんな説明を聞きながらも化野の視線は痛いほどギンコに注がれ続けている。多少それを居心地悪く思いながらも、ギンコは悪戯心を含めたこの土産を気に入ってもらえて満足していた。
蟲を殺すのではなく、折り合いをつけて共存できる道を選ぶギンコにとって、見えなくとも蟲を愛でてくれる化野のような存在は有り難くて、嬉しくて。
「…で、いつ戻る?」
しんみりと止まってしまった説明の続きを待てず、化野が先に質問した。
「あ、髪か。明日にでも適当な森で散らしてやれば、すぐに…」
「そりゃ、勿体無い」
ずいっと化野が身を乗り出した。その視線が輝きながらも座っている。
「何がだ」
「いつものギンコも美しくて素敵だが、こっちのギンコも今宵限りで見納めかと思うと色々…な」
言いながらにじり寄る化野から微妙に遠ざかるギンコ。
厭な予感を禁じ得ない。
「いつものもこっちのもあるか。俺は俺だ。変わらないぞ!」
「まあまあ。ちょっと触るぐらいいいだろが…」
「触るってあのな、そこはっ!…ゃっ…」
一瞬前までのしんみりした気分とムードはどこへやら。
なしくずしに押し倒される"こっち"のギンコが闇色の髪を乱す様子を、しっかりたっぷり土産として目に焼き付ける、化野。でしたとさ。
ちゃんちゃん♪
「一から創作蟲」の『青毛の抄(アオゲノショウ)』
尾賀様・投稿
08/05/23