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花 々 扇
暫くぶりにやってくるなり、二差しの扇を差し出して、ギンコは化野にこう言った。
「土産を持ってきてやったぞ。…揃いでこれだけ、ってとこだな」
指を四本立てて言うからには、それが代価という事だろう。土産とかなんとか言いながら、つまり金は取るという事だ。慕わしさや色っぽさなど、欠片も見られぬ物言いに、化野は、はぁ…と溜息を一つ、つく。
「いいけどな。丁度、治療代も幾つか入ったとこだし、見れば中々のいい品のようだ。にしても高いのは…もしや蟲がらみの」
「あぁ、どちらにも蟲が宿っている」
というよりは、とギンコは一度は切った言葉を繋げた。
「無理やり宿らされている、と言った方が正しい。この絵にな…」
ギンコがさらりと扇を開くと、そこには咲き乱れる薄紅の花の枝。そうしてもう一差しは深い青の桔梗の原。桜の花弁が風に揺られるさまが、見えた気がした。波のように桔梗が揺らぐのも、見えたような。
巧いというのも確かなのだが、酷く心惹かれる美しい絵だと、化野はそう思ったのだ。
「気に入った、払おう」
さっそく財布を取り出し、言われた通りの金をギンコに渡す。ギンコはそれをすぐにしまい、小さく「まいどさん」と言って笑うのだ。
「で、どんな蟲で、どうしてここに宿らされている?」
「この花の薄紅が判るだろう。こちらの扇の桔梗の青も。蟲は薄紅と青色の固体があって、その色があまりに美しいので、絵の具代わりに使われたんだな。水に混ぜられると蟲は仮死状態になって、目覚めるまで逃げられない」
ギンコが思うに、この扇を作らせたものは蟲に詳しい。恐らくは蟲師だろう。蟲の名を花々扇といい、それを知っていて、扇に二種の花を描かせたに違いない。何故そうしたかは判らないが。
「酷く稀で、その上、見たことも無いほど美しいものが見たいだろう、化野。これはもうお前のものだから、見る権利がある」
興味を引くようそう言って、微笑みながらギンコは桜の一差しを化野に渡し、自分は桔梗の方を持って、その腕を高く掲げ、ゆらゆら、ゆらゆらと静かに揺らした。すると、扇から青いものがさらさらと零れた。極細かい青の、五つに尖った形をした桔梗の花そのままの。
「す、凄い…」
「そっちもやってみろ。きっと綺麗だろうよ」
「こう…こうか?」
見よう見まねで、自分の頭よりも高く扇を掲げ、広げた側を下にして、ふわふわと揺らしてみれば、確かにそちらの扇からも、薄紅の花弁が散り始めるのだ。
「そうそう、うまいぞ。もう少し強く扇いで」
「あぁ! こりゃ綺麗だ。…こうだな?」
子供のように無邪気な顔をして、化野は扇を揺らし続ける。揺らしているその間、青い花と薄紅の花弁は散り続け、暫くしてから、化野は、はた、と気付いた。明らかに気付くのが遅い。
「お、おい…。これもしかして、みんな散っちまったら…」
「………」
「絵にならないんじゃ」
「はは、ご名答!」
「こ…このっ、はめたな…っ、ギンコっ!?」
慌てて手を止めるも、既に扇は間の抜けた姿。茎と葉だけの桔梗の原に、枝のみ目立つ桜の木。花々扇という蟲は、風に煽られては桃色と青の花の幻影を見せながら逃げていく、酷く稀な蟲なのだ。
「でも、綺麗だったろ。そうそう見られるもんじゃないんだぞ。一見の価値ありってやつだ」
晴れやかに笑いつつ、ギンコは左右の手に、それぞれ扇を持って、交互に、はたはたと化野の顔を仰いだ。一つ二つ残っていた桔梗の花と桜の花弁が、ほろりと零れて、化野の髪や頬に触れ、空気に解けて消えていく。
「…いつからここに囚われてたか知らんが、蟲もな、さぞ解き放たれたかっただろうと、そう思ってな。でも、ま、お前に一度見せてから、散るのも見せたらよかろうなと」
「ギンコ。…そうか、ありがとうな」
怒っていたのも忘れて、化野はギンコに礼を言う。払った金の事などは、今は思い出さぬがいいだろう。
その夜、化野とギンコが二人布団の中、桔梗の原、薄紅の桜が続く道を、二人で歩いている夢を見た。あの蟲に恩を返されたようなその夢が、蟲のしていったことなのか、それともただの夢なのか、ギンコも知りはしない。
枕元には半端に広げたままの扇子が二差し。枝のみの桜、茎と葉だけの桔梗の原が、ギンコと化野の寝顔の傍に、ひっそりと置かれている。そんな様でも、これは化野の秘蔵の品、ギンコのくれた宝なのだった。
終
「謎の蟲名一欄」より『花々扇(かかおうぎ)』
作者コメントより
雅な蟲ですねぇ。「枯れ木に花を咲かせますー」じゃなくて、はたはた扇ぐと、かえって枝が丸裸になっちまうとは…。
惑い星・投稿
08/05/23