.
チャバシラムシ



「まいったな…」

ギンコは山道を歩きながら空を見上げ、つぶやいた。空は青く雲ひとつさえなく晴れ渡っていたが、逆にギンコの心は曇り空のようだった。ポケットに手を入れて出すと、手のひらには小銭が数枚。何を隠そう、これが全財産だ。
金がなくなってきたのに気付き、それじゃあ上客でもある医家のところに向かうかと進路を決めたのが先日。それから控えめな食事をしながら急ぎ足で向かっているのだが、気付いた場所が彼の里からずいぶんと離れていたため、金のほうが先に底についてしまったのだ。
「まだ山が……いくつだ、ったく」
先はまだ長い。しかし腹が減るのは待ってはくれずに、ギンコの腹はくぅ、と小さく鳴き声を上げる。仕方なくもう少し進むことにした。───────この先に小さな茶店があるのだ。


しばらく歩くと見えてきた店は、団子と書かれたのぼりが立っていた。店内は少ないながらも席があり、そこで食事もできるほか、店先に置かれた長椅子で茶と団子も楽しめる。先のことを考えてギンコは長椅子に座り、団子を注文した。
「毎度」
豪快に笑う女主人に、熱い湯飲みと団子を出された。金を渡し、礼を言ってそれを受け取る。
団子はみたらしと、餡がのったよもぎ。それを食べてから湯飲みに手をかけると、何かが浮いていることに気付いた。
緑色の茶の中に、茶色の細長い茎のようなもの。それがくるくると回りながらもきちんと立っていた。見た限りただの茶葉だが、ひとつ違うのは声だ。
小さな小さな声。それは高い声で、数人が早口で何かをしゃべっているように聞こえる。ギンコはそれを聞き取ろうとはせずに、ただ湯飲みを見つめてそれを払おうとした。
「しっ、」
追い払おうとしたが、彼らの声にとある単語が現れたのでそれをやめた。


顔を上げ、あわてて辺りをきょろきょろと見回す。そして店内に座っている男の姿を見つけ、小さく名をつぶやいた。
「……化野、」
とたんに男はぴくりと反応し、箸を置いて辺りをきょろきょろし始める。自分の名前に敏感なだけかと思ったが、手に持つ湯飲みからまた声が聞こえて合点が行く。───────彼も、会いに来たのだ。
そういえば文を出していた、もうすぐそっちに行くからと現在地までご丁寧に書いて。彼はそれを頼りにここまで来てくれたのだ。
「ギンコ!」
嬉しそうに名を呼ばれる。その次にされることも、すべて彼らが先に教えてくれたので知っていた。突っ立っているギンコのところに駆け寄り、彼らが言うとおり化野はギンコに抱きついてくる。
「会いたかった」
そう言われるのも知っていたが、その言葉に嬉しくなる。湯飲みの中では小さな声たちが、離れて空へと飛んでいこうとしていたところだった。






「……チャバシラムシ?」
山道を歩きながら化野が訪ねてくる。ギンコはああとうなずいた。
「茶の中に下りてきて、茶柱のように立つ。その間茶を飲んでいるヒトのことを話すんだ」
「話す、…だけか?」
訝しげに聞き返す化野の言葉に笑う。確かにそれだけをするためにわざわざ熱い茶の中を選んで下りてくるのはおかしいだろう。だが、とギンコは続けた。
「ただそいつの噂をしているわけじゃない、話すのはそいつの少し、先のことだ。これから何が起こるとか……平たく言えば予言だな」
「そりゃいいじゃないか」
「ついでに言うと、そいつにとっていいことしか話さない」
「変わってるなぁ」
化野は笑いながら言うので、ギンコもまぁなとうなずいた。化野はちょっと休ませてくれと言って、手ごろな石に腰をかけた。ギンコも隣に腰を下ろす。
「でも茶柱に似ているなんて、まるであの噂みたいだな」
彼が言っているのは「茶柱が立つといいことがある」という迷信だろう、しかしギンコはそれの由来を知っていた。
「だから、そいつらのせいだ。あいつらはいいことがある人間のところにしか現れない、わざわざあっちが選んで来ているんだし、いいことしか起こらねぇのは当然だろう」
だからそんな迷信ができたんだろう。そう話すギンコの横顔を見つめていた化野は、辺りをちらちらと見て気にし始めた。なんだとギンコが聞いてみる。
急に顔が寄せられ、口付けられた。驚いて見返すと抱きついてこようとするのでやめろと押し返す。
「久しぶりに会えたのに」
「今はダメだ」
ちぇ、とつぶやく男に呆れを込めた息を吐く。そういえばと化野がつぶやいた。


「いいことの基準ってなんだ?」


別に俺がここまで来ていることくらい、なんでもないことだろう。そう化野が言うとギンコはほんの一瞬、まずそうな顔をした。おや、と化野が思っているとすぐにさぁなと返され、そろそろ行くぞと休憩も切り上げられた。何か隠しているな、と化野は思う。しかしそれが何かまではわからなかった。






数日ふたりで旅をし、ようやく家に帰り着くと化野は風呂を入れてやった。ギンコに入るように言って飯の仕度を始める。久しぶりに腕を奮ってやれると思うと嬉しかった。



風呂場ではギンコは湯船の中で息をついていた。頭を洗い体の垢も落して、そしてそんな自分に笑う。今日はいつもより余計に抱かれてやるために、丁寧に体を洗っている自分に対してだ。
化野が自分を迎えるために茶店にいたことも、そして嬉しそうに名を呼んだことも駆け寄ってきて会いたかったというのも、すべてギンコが嬉しいと思えたことだった。あの蟲は目的にした人間の、そう思う心に反応するからだ。ああなれば嬉しい、こうなればいい。そんな心とそうなりそうな未来を見つけて舞い降りてくる。つまりはあのときたまたま、ギンコがそうなりそうな未来を持っていたのだ。
風呂から上がり体を拭いて用意してもらった着物を羽織ると、ギンコは髪を拭きながら部屋へと戻った。土間を覗けばかまどの前で鍋の中をじっと見つめている背中を見つける。

「どうした?」

声をかけると化野は振り返り、できたぞと笑った。どうやら味見でもしていたらしい、ギンコはああとうなずいて机の前に座った。
飯を食べていると膝に温かいものが触れる、化野の足だと気付くがギンコは注意もせず黙っていた。しかし抱かれてやろうと一度思ったことがいけなかったようで、じわりと欲が滲み出てくる。
酒を勧められて受けるが、その思いをますます膨らませるだけだった。やがてギンコはそれに耐えるために机に突っ伏してしまう。
「風邪引くぞ」
化野が言った。背後に回り化野がギンコの体を抱えようとすると、ギンコはそれにもたれかかるようにして、そして顎を上げた。
少し笑うと化野はすぐにその唇に口付ける。ちゅ、と吸って音を立てると両腕が背中に回り、化野の着物を握りこむ。
「……したいか?」
聞いてみると下にある体は返事の代わりに化野の唇を吸った。化野は嬉しくなってそうかと言うと、すぐに体を撫でてやる。素直に反応を返すのがたまらなく嬉しくていとしくて、愛撫を繰り返す。ふたりが繋がりあうのにそんなに時間はかからなかった。






「言葉を繰り返すんだな」
抱き合ったあと、ふたりは寄り添うように布団の中で寝ていた。化野がふと言うのでギンコは顔を上げる。
「お前が言ってたチャバシラムシだよ、言葉を何回も繰り返して話すんだな。かわいい声だった」
「……出たのか?」
いつ、とギンコが聞くが、化野はそれには答えず、別のことを言った。


「体を丁寧に洗うって言った。君のために、ってのも聞こえたな」
「……っ」


途端に顔を赤くしてギンコは化野を見つめた。化野はそれを見返すと腰を抱き寄せる。
「足をくっつけるといい、とも言っていた」
「それでかよ」
食事中に足がつくことなんて今までになかったのに、おかしいと思っていたのだ。しかしその体温で我慢できなくなったのも事実だった。ギンコは化野の腕の中から逃げようとしたが腰をつかまれていたのでできず、小さく舌打ちする。
「茶の中でなく、汁の中に下りてきたぞ。……おかげでお前にありつけたけどな」
「うるさい」
「俺が嬉しいと思えることだけを言ってくれた、あのときのお前もそうだったんだな」
化野が茶店にいたことも、駆け寄ることも、会いたかったと言うことも、すべて。
「お前が、嬉しいと思ってくれることだったんだな」
「……」
ギンコは一度目を伏せる。化野はそれを見つめてじっと待つと、腰をつかむ化野の腕に手が添えられた。伏せられた目は閉じられ顔を上げられて、肯定だとわかって化野は嬉しくなった。
抱き合いながら口付けを交わす。再開された行為の中、化野は感謝していた。あの蟲のおかげで、彼の思いが垣間見えたからだ。
きっと今頃は誰かの幸せを予言しているだろう。小さなかわいい声を持つ蟲は、そのいわれ通り幸せばかりをもたらしてくれることがわかったから。



───────もうひとつ、茶の中だけに現れるとは限らないということもおそらく新たな発見であることに違いない。





                  おわり







「謎の蟲名一覧」より『チャバシラムシ(茶柱蟲)』

作者コメントより
チャバシラムシ、と聞いたとき真っ先に高い声がぺちゃくちゃとしゃべっているのを思い浮かびました。
 「迎えに来たんだって」「すごいね」「会いたいからだって」とか。
その人の嬉しくなることを、噂話のように話す。聞きたくなければ箸でつまんで出すと逃げていきます。(←どうでもいい設定)


JIN・投稿


08/05/17