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翳 牢



 私に聞きたい事がある、と?
 お前も知っての通り、私は聞いたことを書き記すのが専門で、話すことは得手ではないのだがな…。
 まあいい、話してみよう。
 しかし、私が話した後は、お前の話も話を聞かせてくれ。
 それで、何を聞きたいと言うのだ?
 ギンコのこと?
 なぜ、そんなことを聞きたい? まあ、いい。何を聞きたいのだ?
 出会い?
 そうだな…蟲師という輩は変った連中が多くてな。その中でも一風変った男だった。
 私が自らの身体に封じられた蟲を蟲師の話を書くことで封印していることは知っているな?
 そうして招いた蟲師の一人だった、ギンコも。
 あやつの変ったところは…蟲を殺さぬ、という一言に尽きるだろうか…。
 蟲を殺し、封印した話を書くことで私の身体の蟲は封じられる。
 そういった意味では…まったく役には立たぬ男だったよ、ギンコという男は。
 けれど、蟲を殺す話にウンザリしていた私には、とても新鮮だった。
 そして私は…あやつの出入りを許した。
 特別な感情?
 どうなのだろうな…。あると言えばあるだろうし、ないと言えばない。
 ただいつか…この身体の蟲をすべて封じることができたら…あやつと旅に出る、それを楽しみにしてはいるな。
 それが、特別な感情なのだと言われれば、きっと、そうなのだろう。
 だからと言って、それが…恋愛、などという感情ではないことも……確か、だと思うが。
 ギンコは…優しい男なのだよ…蟲にも、人にも…私にも、な…。
 さて、クマド、次はお前が話す番だぞ……。
 クマド? クマド…話させるだけ話させて、どこへ行ったのだ?


 ギンコ、か?
 今日はどうしたんだ。何か面白い話を持って来たのか?
 ん? 私の話を聞きたい、と?
 クマドといいお前といい…一体何事………
 ……お前、何、だ?
 ギンコ、ではないな?
 昨日来たクマドも、お前だな?
 まあいい。今日は何が聞きたい、というのだ?
 聞きたい事には答えてやるから…お前の話も聞かせろ。
 ギンコにはどこに行けば逢えるか、だと?
 私にはわからぬ。
 居場所がわかったところで、この身体では逢いに行く事は叶わぬし、わざわざ逢いに行かねばならぬ理由もないから、な。
 私に必要があれば呼ぶ。あやつが必要だと思えば、あやつの方からやって来る。あやつと私はそういう関係だ。
 寂しくはないか、だと?
 そんなこと、考えもしなかったな。
 私にはせねばならぬことがあるし、それはギンコも同じだろう。
 それでいいのだと思っているが…違うのか?
 お…おいっ! 何を…するっ……


** *** **



 たまに呼ばれたギンコが目にしたのは夜具の中で死んだように眠る淡幽だった。
「いつからだ?」
 背後に心配げに立つたまにギンコは声をかける。
「私が戻った時には…三日前になるかの…」
「戻った? …クマドか…」
 合点が行ったように頷くとギンコは淡幽の身体に手をかざした。
「蟲、だな…」
「どうやっても目覚めてはくださらぬのだ…。これでは、どのような蟲なのかすらもわからぬ…」
 心底困ったように言うたまに、ギンコは二人だけにしてくれるように頼む。
「淡幽ではなくてもいい…。何か、変った事はなかったか?」
 部屋を出ようとしていたたまにギンコは声をかけた。
「…光酒の蟲が抜け、新しい蟲を入れる前…クマドに何か…」
「…そうか…わかった…」
 たまが出て行って、その気配が遠く消えるのを待ち、ギンコは奥の襖に声をかける。
「出て来たらどうだ?」
 静かに開いた襖の向こうには、淡幽が立っていた。そのままじっとギンコを見ている。
「こっちへ来い」
 眠る淡幽の枕元に座ったまま、現れた淡幽へギンコは手を伸ばした。
 伸ばされた手に縋るように淡幽は纏っていた着物を落とすと、ゆっくりと歩いて来る。その足には、痣が、ない。
 伸ばされる手を取って、ギンコはその身体を抱き寄せると、隠し持っていた短刀でその身体を貫いた。
 淡幽の顔が歪み、それから、うっすらと笑う。徐々にその輪郭が崩れ、ゆっくりと光へ還元されて…やがてその光さえなくなると、そこには眠ったままの淡幽とギンコだけが残された。
「…それが…お前の望みなんだな…クマド…」
 ギンコはぽつり、と呟いた。


** *** **



 あれは…翳牢、という蟲だ。
 ああ、そうだ。
 人の心の隙間に入り込み影を捕えてその姿になって、その者の心理で眠っている欲望をその者になりかわって遂げる、蟲…。
 憑かれた者が、誰かを殺したいとかそういう欲望を持っていない限り、大して害のない蟲だな。
 当然、お前もたまさんも知ってるか…。それでもまぁ、おさらいをしとこう。
 翳牢は、憑いた者の欲望を叶えてやることで繁殖を繰り返す。
 ん…ああ…その者の望みが自分の死であった場合は別だが…影を捕えた翳牢も…人と同じ方法で死んでしまうから…。
 だが、本来、人は生を望むものだ。死にたいといつも言っている人物だとしても、実際にその局面に立たされると、死に恐怖を覚える。だからこそ、翳牢は安心して人に憑く。
 だが…今回は違った。
 翳牢は…光酒の蟲の抜けたクマドに憑いてしまったんだ。影を捕えるつもりが…あの男の何もない闇の心に囚われてしまった。
 そして…翳牢という蟲の亜種へと変化してしまったんだ…。
 なぜ、お前の元へ来たか…か…。
 これは俺の推測でしかないんだが…クマドの空になった心の中には…お前だけがあったのではないだろうか…だから、ここへ来た。
 俺の姿、に? それは…あいつの記憶に俺の姿があったから…なんだろうな…。クマドの空に近い心に残っていた蟲師、の姿が俺だったのだろう、な。
 自分を殺してくれる者の姿として、記憶されたのかもしれない…。
 なぁ…たまさん…あいつを…クマドを開放してやっては……くれない、のだろうな…それが、薬袋の…掟…なのか、やはり…。
 あいつは…何度も魂を失い、そのたびに蘇生して…その生活に耐えられなくなっているのじゃないだろうか…。
 だから…翳牢は…そのあるべき姿を歪めてまで、囚われた心に忠実に、死を望んで……。
 まぁ…言っても仕方のないことか……。
 じゃぁ…これで俺の用は終わりだな?
 俺はもう、行く……。


 俺が…淡幽の形をした翳牢を殺したことは黙っていよう。
 みずからのあるべき姿を思い出し、淡幽に憑きなおして…俺に向けた、淡幽の欲望には…気付かなかった振りを、しよう…。
 俺が…あの淡幽の姿をした蟲に欲望を叶えさせてやれば…翳牢は…本来の姿に戻ったのだろうか……。




「一から創作蟲」の『翳牢(かげろう)』

直斗さま・投稿

08/04/29