.
それぞれの道にて
「おぅ、団子ふた串ずつ包んでくんな。今喰うヤツぁ、別に餡のがひと串、それと茶ぁもなー」
「あいよぉっ。合わせて七本ね。毎度っ。あれ、そっちの子ぉは? まだ決めてるってかい、うちの団子はどれも美味しいからね」
ある山間の里の傍、一本道。ちょいと脇に、小さいが小綺麗な店一つ。団子の甘い匂いが道へと漂い、機嫌のいいやり取りが響く。その、温かな日差しの注ぐ長閑な風景に、すぐあと、いきなり怒鳴り声が響いたのだ。
「なぁんだって、ちょっとあんた…ッ。金が無いってどういうことなんだい!」
「ち、違う…っ。違うんだッ、ここに座った時にゃ、俺の財布んなかに、ちゃんと金が入ってたっ。そいで今払おうとしてみたら、からっぽんなっててっ」
「いいとぼけ方じゃないかい。最初から食い逃げする気だったんだろっ」
一見優しげで穏やかそうな茶屋のかみさんも、さすがはいつも旅人を一人で相手しているだけのことはある。ちっとやそっとじゃ、引っ込みそうもない剣幕だ。いからせた彼女の肩を、その時、うしろからトントンと叩くものがあった。
「まあ、そういきり立ちなさんなよ、かみさん。あったものが知らぬうち、いきなりなくなってるなんて事も無くはないから」
振り向けば、かみさんの肩に手を置いたのは、こちらも旅暮らしらしい若い男。
「なんだい、あんた」
「蟲師の…ギンコと申します。ま、こういう妙な出来事には、蟲が絡んでることが多くてね」
むしし?
なんだそりゃあ、と首をひねるものの前で、男はひょいと身を屈め、茶屋の椅子の下から何やら摘んで拾い上げる。緑色の、一見してそこらの道端の草の茎のようなもの、に、銭が二十も通されていて、それがしゃらりしゃらりと変に忙しく音を立てるのだ。
「う、わ、何だこの草、動いてやがるじゃねぇか…っ」
「蟲さ。こいつは『銭ツリ草』っていって、人様の財布や懐ん中の銭を抜いて持ってっちまう、困ったやつでね。こう、穴のあいた金気を好むだけだけどな」
男は緑色にうごめく茎を、二人の見ている前で、くるりと輪にして結ぶ仕種。すると茎は唐突に消え、金はしゃらしゃらと土に落ちた。拾い上げ、旅人の手の中へ渡してやる。
「かみさんも、誤解が解けたら茶のもう一杯、この旦那に出してやったら」
「あ、あぁ! そ、そうだよね、ごめんよ。今、熱い茶を出したげる」
かみさんも旅人も笑顔に戻って、茶だの団子の代金だのをやり取り。若い男は座りもせず、かみさんから食いなよと渡された胡麻の団子ひと串を手に、山道の方へと歩いてく。
道へ入って少し後、男が片袖を小さく振るうと、そこから銭が三枚落ちてきて、もう一方の手の平の上にのせられて。
「ギンコ、て、あんたの名前?」
不意に道の影から、声が掛けられ、団子をかじりながら男は顔を向けた。
「いや…俺はイサザってんだよ。蟲師でもないな、ほんとは」
あっさり本当の名を言ったのは、ただの気まぐれなのだろう。日に焼けて、少し茶色くぱさつく髪が首筋で風に揺れる。露よけの、肩の上の蓑の裾も揺れる。
「蟲師のギンコ、なら知ってる」
「へぇ」
無愛想なその子供は、銭を握り込んだイサザの手を、気にしているふうだ。自分でない名を名乗りながら、その金ちょろまかしたのかと言いたげで。
「なに、仮にあの男が銭の足りないのに気付いて、名前を元にギンコを見つけたって、あんな目立つなりしたヤツと、今日の俺とが同じ人間だなんて誰も思いやしないさ」
互いに詳しくは言わないが、少年と男の頭の中には、白い髪して碧の目で、見慣れぬなりの姿が浮かぶ。
「お前、まだガキだろう。一人か? 旅してんのか」
言いつつも、この年頃の時の自分が、親の傍にいた記憶はイサザにないが。
「この山越えた向こうの里の、家、に、行くんだ」
「あぁ、自分ちに戻るのか、親んとこへ」
「行くだけ。ちょっと会うだけ」
「ふうん…」
自分の家、自分の親。イサザには昔から持たぬもの達。だが、聞かれた子供はいきなり足を止め、続いている道の先を、その上の空を無表情に眺める。雲も無い空。雨雲も、雷雲も。見慣れたあの雲を見上げれば、勇気が出ると思ったか。
子供の足が、半歩後ろへ下がる。小さくはない迷いに、不意に片足捕まえられたみたいに。
「…どうした?」
イサザが問うと、子供はぐいと顔を上げ、彼を追い抜いて前へと進んだ。しばし背中を見送り、それから大股で歩き出して追い付いて、イサザは懐から包みを取り出して広げる。
「腹、減ってそうだな。茶屋でも、茶だけ啜ってたろ。ほれ、団子」
胡麻に餡に醤油が、ちょうどふた串ずつのそれが、なんで懐にあるのか、さっきの銭のことから考えても一目瞭然。椅子の上にあったのを、盗ってきたのだとすぐ判る。
黙ったままで片手で、ひと串、もう片方の手でもひと串掴み、子供はまたイサザから離れるように歩いた。
「お前、なんてんだ? 名前」
駆け出していきながら、問いかけにはたったふた文字、ぶっきらぼうな声が返った。
「レキ」
ほんの短い旅をする子供と、長い長い旅をする男が会って、一言二言話をした。それは、ただそれだけのこと。どこにでもある、よく晴れた日の出会いと別れ、なのだった。
ここには居ない、一人の「蟲師」を間に置いて。
蟲師はくしゃみをしていたかも知れぬ、潮の香する海辺の里の、医家の胸に寄りかかり、風邪か?と、心配そうに問われたかも知れぬ。きっと噂されてんだ、蟲師は言っただろうか。言ったとして、それは当てずっぽうに違いない。
終
「一から創作蟲」の『銭ツリ草(ゼニツリソウ)』
作者コメントより
この蟲は金属が好き。で、銅貨は穴が開いてるから、盗りやすくてますます好きなようですね!
緑色の茎に四角い穴のあいた銅貨が十も二十も綴られていて、そのままシャクトリムシのように移動〜。銭ツリ草は、茎のみの姿にされると、すささーっと逃げるとか。きゃぁv ほんとに可愛い蟲だー。
惑い星・投稿
08/04/27